学長通信『則天去私』 President's Blog

No.36 偉大なる魂 2025年8月

「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」 (マハトマ・ガンジー インドの政治指導者、宗教家 1869~1948) 非暴力と不服従を貫いたインド独立の父 ガンジーは優れた政治指導者で宗教家であり、同時に素晴らしい教育者でもありました。 この珠玉の言葉からは、「学び続けることの喜びと、大切さ。 そして何歳になっても新たな学びを始めるのに遅いことはない」という学ぶことに対する心からのエールを感じます。 同時に「今、この時に本当に大切なことをするのだ。何が大切かを徹底的に絞り出せ」という雷鳴のような気づきを与えてくれるのです。 ガンジーはその生涯を通じて徹底的にインドの抱える社会課題に向き合ってきた人物です。彼がちょうど100年前の1925年に唱えた「7つの大罪~1原則なき政治、2道徳なきビジネス、3労働なき富、4人格なき教育、5人間性なき科学、6良心なき快楽、7犠牲なき信仰」という指摘は、当時のインドや統治国であったイギリスを念頭においた克服すべき社会的大罪でしたが、それらは今日的にも、わが国日本でも、世界中においても、引き続き、あるいはより増幅されて跋扈している問題であります。 特に教育界に身を置く私としては、学力一辺倒・知識の詰め込み型ではない「人格教育」の重要性、AIの進化の中で「人間性を忘れない科学」のあり方についてあらためて考えさせられます。 また、彼はこのような大命題を掲げながら、身近な幸福論としては、わかりやすい言葉で、「間違ったことをしている人を見たら、自分だって間違いを犯したことがあると思い起こそう。欲深い人を見たら、自分もかつてそうだったと思おう。 こうやって世界中のあらゆる人に自分との共通点を見出せば、自分の幸せと同じように、人々の幸せを願うようになるだろう」と唱えます。 彼の奥深く優しい眼差しがこの思いをたたえています。 先月の学長通信で私が触れた「自利利他」の精神がここに潜んでいます。
ガンジーの傾倒者であり、インド独立についてより尖鋭的に動いた革命家とも呼べる人物がチャンドラ・ボースでした。 ボースはガンジーの非暴力主義には反対し、武力に訴えてでもインド人の自由、インドの独立を勝ち取るために動きました。 その結果、ガンジーとも袂を分かち、イギリス政府に2度も投獄されながらも、不屈の魂で立ち上がり、周囲を巻き込み、外交的努力も進めていきます。 ソ連、イタリア(ムッソリーニ)、ドイツ(ヒットラー)等イギリスと対抗する勢力に近づきますが、相手にされません。 最後に大東亞共栄圏構想を打ち出す日本に近づきます。 東条英機も最初は相手にしていませんでしたが、初めて面会した際にボースの人間力と情熱に惚れこみます。 その後、ビルマとインドの国境においてインパール作戦を企図・推進するビルマ方面軍司令官・河辺陸軍大将のもとに行き、インド国民軍の参戦と協力を申し入れます。河辺大将も初めは懐疑的でしたが、ボースと出会い、その人格とインド独立の強い意志にほだされます。 そして、「チャンドラ・ボースを応援し、心中する覚悟」で臨んだインパール作戦は、牟田口中将の第15軍の無謀な戦いを後押しし、惨憺たる悲惨な結果をもたらすことに繋がってしまいます。 その後、ボースは終戦3日後の8月18日、日本統治下の台湾・台北の空港で搭乗した航空機事故で亡くなります。 死に際し、彼の最期の言葉は「祖国の人々にインドの自由のために戦い続けるよう伝えてくれ。 インドは必ずや自由になるだろう。そして永遠に自由だ」でした。 彼の遺骨は日本に運ばれ、丁重な葬儀の後、今も杉並区の蓮光寺に眠っています。 インドと日本を繋ぐ数奇な物語です。 インドはその2年後の8月15日ガンジーやボースと同志であったネルーらの独立運動により自由と独立を勝ち得たのです。 ヒットラーから体よく応援を断られ、ドイツからUボート経由で一縷の望みのもと、マダカスカル島沖で日本海軍の伊29号潜水艦に乗り換え日本に向かう時に撮られた記念写真があります。 日本の乗組員と共に穏やかにほほ笑むボースの表情が印象的です。

※写真は、ガンジーとチャンドラ・ボースの写真

 一番最後は、イ号潜水艦乗組員と共に

(著者:藤田 英樹)