学長通信『則天去私』 President's Blog

No.37 真を貫く 2025年9月

「世の人は我を何とも言はば言へ 我がなすことは我のみぞ知る」 (坂本龍馬 1836~1867) 土佐が生んだ日本の英雄、明治維新の主導人物と言われる龍馬が1863年から1864年の頃に詠んだ歌です。「自らが信念を持って成し遂げようとしていることに他人が何を言おうと、どう評価しようとも、好きに言わせておけばよい、やりたいことの本質や意図は、自分だけが分かっているのだから、恐れずたゆまず実行していくだけだ」という気概と自負が秘められています。 決して独りよがりになってはいけませんが、この精神こそ、経験・知恵・スキルに裏打ちされたミドルシニアが持つべきものであり、自分の夢と天分と努力を一致させ推進していく「キャリアの自律」の本質だと考えます。
 坂本龍馬は万国公法(現在の国際法)の理解と活用を推し進めた第一人者でもあり、勝海舟と共に日本の海軍創設の立て役者でもありました。 彼が生きた丁度100年後に日本海軍は太平洋戦争の激しい戦いの中で、その主力艦艇をほとんど失い、精鋭の多くが海の藻屑と消えたわけですが、理性を失い本能むき出しになる生死を分ける戦いの中でも、国際法に描かれた精神を守り、仁義と人道精神からぶれずに戦い抜いた軍艦・軍人たちが日本海軍の中に存在していたことは、今やほとんど忘れ去られています。 敗戦(終戦ではなく)から80年目に当たる今年、その内の一隻である駆逐艦「雪風」の物語が映画化され、雪風を小学生の頃から追いかけ調べていた私は真っ先に見てきました。 雪風は、スラバヤ沖、ソロモン、コロンバン、ミッドウェイ、ガダルカナル、マリアナ、レイテ、そして戦艦大和に帯同した沖縄特攻まで太平洋戦争の主要な海戦すべてに参加し、生還したばかりか、沈没した艦から海に投げ出された友軍将兵の救助を、危険な戦場に残り可能な限り行った「奇跡の不沈艦」「幸運艦」と呼ばれています。 「あっぱれに死ぬること」が武士道ではなく、生きて還り、役立ち続けることこそ将来の国のためと考えた操鑑見事な寺内艦長を竹野内豊が演じています。 またもう一隻忘れてはならないのが駆逐艦「雷(いかづち)」です。 雷の艦長の工藤俊作の名は日本よりもむしろ英国(特に英国ベテラン軍人の間)で高潔な英雄として轟いています。 雷はインドネシア・スラバヤ沖海戦(1942年)で撃沈された英国軍艦の漂流者422名を危険を顧みずに最後まで救助し、乗員220名の自艦の2倍近い敵兵を乗艦させた上に、彼らを手厚く幇助・介助し、少ない食糧の中からそのほとんどを供出までして厚遇したのです。 しかも艦長以下将兵はこの事実を誇ることなく、歴史の中に埋もれていたのですが、救助された英国海軍士官フォール卿(後に英国外交官としてスウェーデン大使等歴任)が、戦後1987年に手記を発表し、工藤艦長への感謝と賞賛の言葉を述べたことがきっかけで世に知られるようになったのです。フォール卿は2003年84歳の年に日本を訪問し、「人生の締めくくりとして」工藤館長の墓参をし、遺族に感謝の意を表したいとしたことで日本側にもようやくこの戦時中の美談が伝わり、雷の取った事績が見直されることとなりました。「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」という有名なマッカーサーの言葉がありますが、工藤艦長(最終階級は中佐)は「勇兵は語らず」、静かにその78歳の天寿を1979年埼玉県川口市で全うしたのです。
※写真は、映画「雪風」のポスター、寺内雪風艦長、工藤雷艦長



(著者:藤田 英樹)