学長通信『則天去私』 President's Blog

No.44 二人の信三 2026年4月

「教育者として具すべき最根本条件の第一は、常に『自己の人生の生き方の探究者』でなければならぬということです。 第二の条件として、生徒に対する『人間的愛情』の持ち主ということであり、
第三に世界人類に対して我々日本民族の負うべき「文化的使命」を心中深く憶念している人であるべきです。 以上の三点をもって、真の『教育者』たるための絶対条件と考える次第です」(森信三 もりのぶぞう、
日本の哲学者・教育者 1896年(明治29年)-1992年(平成4年)) 新年度が始まる4月に当たり、伝説の教育哲学者、「国民教育の師父」と謳われた森信三の著作「修身教授録」を読み直してみました。 森信三は、教育活動に生涯を捧げ尽くし、「人としていかにあるべきか」の多くのヒントを提示してくれたと共に、坐禅やヨガにも通じる、姿勢を良くすることを芯から説いたのが素晴らしい。 曰く「腰骨(こしぼね)を立てましょう。 腰骨イコール主体で、腰骨を立てない限り真の人間にはなれません」。 また私が常々思っている「教育者」とは、決して偉いものではない、「人と人とを繋ぐ結節点であるべき」だという持論、そしてライフシト大学を運営する意味を、森信三は見事に言葉に表してくれています。 曰く「現在私が最も努力しているのは、地下水的真人の発掘であります。 そして縁ある真人同志を結ぶことです。 とにかく真人と真人とが結ばれねばなりません。 それについては最大の努力を惜しまぬつもりです。私には何もできませんが、ただ人さまの偉さと及び難さを感じる点では、あえて人後に落ちないつもりです」
私自身、ミドル・シニアの学徒と出会い、接していつも思うのは、それぞれにきらりと光る宝玉の様な魅力を感じるところです。 今のままでも永年の蛍雪に磨かれた珠の魅力が自ずと備わっていますが、それが深まれば、更に異なる光を帯びたり、磁石の様な磁力を発揮していくのです。 森信三はこうも言っています「人間五十の声をきいた時には、たいていの者が息を抜きますが、それがいけません。 『これからが仕上げだ』と、新しい気持ちでまた十年頑張るのです。すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶでしょう。 月並みの人間はこのへんで楽隠居がしたくなりますが、それから十年頑張るのです。すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるでしょう。 しかも、それからまた十年頑張るのです。 このコースが一生で一番面白いと思います。」 好奇心溢れた面白き人生を歩むこと、歩み方は人それぞれ違えども、それが人生の妙だと思います。

「善を行うに勇なれ」「すぐに役立つ人間はすぐに役に立たなくなる」(小泉信三 こいずみしんぞう、経済学者、慶應義塾長1888年(明治21年)-1966年(昭和41年)) 小泉信三は、平成天皇(現 明仁上皇陛下)の皇太子時代の教育係でもあり、1933年(昭和8年)から1947年(昭和22年)まで実に14年の長きにわたり、戦前~戦後の激動期において慶應義塾長を務め、日本人のモラルのバックボーンとなる数多のエッセイを当代有数の言論人として発表しています。 私は自ら読書家を任じていますが、小泉信三の説く「百冊の本を読むより、百人の人物に会え」は、貴重なアドバイスであると思います。 私自身は、時間を有効活用できるのであれば、「百冊の本を読み、百人の人物に会えば、凡百たる私たちも刮目するであろう」と信じています。 小泉信三の中心には紀州藩士の命脈と直接の師であった福沢諭吉翁の教えが脈々と生きていると思います。 「勇気ある自由人」であれという言葉が、我々の行動に勇気を与えてくれます。

今回は、入学・進学・入社の時期に当たり、二人の教育者、二人の「信三」の言葉や思いを振り替えってみました。 小泉信三が亡くなって今年で60年、森信三が亡くなって今年で34年、重要なのは、生徒として、新入生として、新入社員として彼らの言葉を聞くだけではなく、教育者として、監督やコーチやカウンセラーとして、即ち、何らかの形で人材育成や人間形成や指導に関わるものとして、これらの言葉を噛み締め、あらためて自らの使命や思いを自覚し、器そのものを大きくして、共に日本の文化や世界の文化を良い方向に継承し、発展していく担い手であるべく行動できたら素敵だと思います。
※写真は、「森信三」と「小泉信三」 の肖像写真


(著者:藤田 英樹)