学長通信『則天去私』 President's Blog

No.45 憧れ 2026年5月

「くらしにくい世のなかでござる。 なにもいまはじまったというのではないが、いつの頃からか日本人は、闇くもに先ばかり急いで、道中宿々をたのしむということをしない、おもしろげのない人間になってしまったようだ。 明治の「日進月歩」という掛け声からそれがはじまったようである」(金子光晴 かねこみつはる、詩人 1895年〈明治28年〉 – 1975年〈昭和50年〉) AIが急速な発展を遂げる中、人間には創造性が委ねられ、ゆとりがもたらされると観るむきもああるが、私はそれを信じない。 AI開発者は益々忙しくなるし、AI利用者(隷属者)は没頭することで益々時間を消費していく。 ひと昔前のミヒャエル・エンデ作「モモ」にある「時間泥棒」は、益々巨大になっているのではないだろうか。 「ゆとり」には、物理的・時間的な余裕と、精神的・気持的な余裕と二種類あるが、どちらも受け身的に過ごしていては得られるものではなく、意識的・能動的に取りにいくものであると考える。 そして長い間生きて来て思うのは、世の中のメインストリームに乗っていたり、時流を追いかけていては、ゆとりなんざ手のひらから水が零れ落ちていくように儚いものである。 しかして、満足のいくゆとりの境地を得るには、「自分の好きなことに没頭しつくす」か、「主流に背を向け、雑念を追い払い、反逆する(この主流には、社会の潮流だったり、会社だったり、上司だったり、パートナーだったり、親だったり、スマホだったりが含まれる)」かの2つに1つだ。 同時に、人間としてやはり社会と隔絶されたくはないし、「竹林の七賢人」のように厭世的にもなりたくはない。 社会に発信はしていきたい、能動的な繋がりは保ちたい。 このような勝手な想いを叶えてくれる姿が、私にとっては吟遊詩人であり、放浪(さすらい)の哲学者なのである。 そのような生き方が、私にとって「憧れ」であり続けてきた。
  幸いわが国日本には、そのように歩んできた多くの先達がいる。 「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」の西行。 「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」の芭蕉。 「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の若山牧水。 「昼寝さめてどちらを見ても山」の種田山頭火。 「ささやかなたのしみを見つけることだ。しあわせなんか、考えようによっては、そこらじゅうに、道端の石ころのようにころがっている」の高木護。 放浪の画家山下清。 そして冒頭に挙げた金子光晴。 権力に逆らい、心の赴くままに生きた反戦・反骨の詩人。 女性賛美の詩人でもあった。
  「憧れ」は人間の成長の原点である。 幼い頃に親や兄姉や身近な人、先生、はたまたTVの中や本や雑誌の中に自分の憧れの人や憧れることを見出し、そうなりたい、それを学びたい、真似たい、習う、真似る・・ということから成長が始まる。あるいはその逆で、ああなりたくはない、それは嫌いだ、嫌だ・・という反骨心から自分のスタイルや方向性が芽生える。「憧れ」や「憧れの人」を持ち続けられること、魂が揺さぶられ続けることほど幸せなことはない。 これこそAIが叶えてくれることではないし、生成AIにプロンプトするより先に、まず自分で自分に何度も何度も問いかけてみたいことではないか!
 最後に、私の大好きな吟遊詩人とも言える、天賦のリア充詩人である立原道造の詩「夢みたものは……」を紹介する。
夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
日傘をさして 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる
告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる
夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
それらはすべてここに ある と

※写真は、金子光晴と立原道造の肖像写真と山下清の作品

(著者:藤田 英樹)