学長通信『則天去私』 President's Blog

No.46 出家と還俗 2026年6月

「願いとさだめとを内面的につなぐものは祈りだよ。 祈りは運命を呼びさますのだ。 運命を創り出すといってもいい」(倉田百三 劇作家・評論家 1891年〈明治24年〉 – 1943年〈昭和18年〉) この言葉の出典である「出家とその弟子」は、鎌倉時代の僧親鸞とその弟子唯円を中心に、人間の罪や欲などを描いた戯曲で、1917年(大正6年)に出版されると、当時の青年からは熱狂的に支持されて大ベストセラーとなり、ロマン・ロランが絶賛したことでも知られる。 「歎異抄」に代表される親鸞の思想(念仏による他力本願での絶対的な衆生救済)を下敷きにしつつ、キリスト教的な「祈り」の要素を包摂した東洋と西洋の宗教の融合を問う観念が提示されたことに大きな意義があった。 その親鸞が法難により鎌倉幕府から僧籍を剥奪され還俗させられ1207年から7年間、越後(新潟県上越市)に流罪となっていたことは意外と知られていない。 親鸞はその時に「非僧非俗」を掲げ、肉食妻帯を自らに赦し独自の宗教者としての道を歩み始めた。 親鸞をそのように転換させた最大の要因の一つは、私は妻となった恵信尼(えしんに)との出会いであったのではないかと考える。 恵信尼は教養とユーモアを併せ持つ女性だったようで、親鸞は4男3女の子供も授かる中、越後の厳しい自然に向き合いながら「専修念仏」の考え方を更に純化し、後に常陸(茨城県下妻や笠間)の草庵にて「教行信証」を著す土台が作られたのだと思う。 歴史にifはないが、もし親鸞が還俗する機会を得なければ、悪人正機説は生まれなかったかもしれない。
  古来の日本における「出家」の目的は、信仰・修行・厭世以外にも多様なケースがあり、特に貴族や武家階級においては、学問・勉学であったり、長男以外の男子の生活のよすがであったり、引退後の身の処し方や政争・戦に敗れた後の逃げ場でもあった。 また、精神的安定を求めて自ら出家した歴史上の人物も多く存在し、有名なのは藤原道長、武田信玄、上杉謙信、北条早雲、黒田如水(官兵衛)、島津惟信(義弘)等であり、いずれも個性引き立つ錚々たる面々である。 近世以降、代々の僧侶の家を継ぐ目的以外にも出家を求める者は後を絶たず、江戸時代の良寛さん、女性でも瀬戸内寂聴さんや家田荘子さんしかり、まさにキャリアやライフの複線化、ライフシフトの実践とも重なってくる。 人は時に世間から隔絶されたくなる。 喧騒に疲れ、名誉や競争の空しさに気づいた時「出家」という言葉は魅力を帯びる。 出家とは「執着から距離を取る」という決意であり、欲望・比較・承認への渇きから、一歩退いて自分を見つめ直す行為でもあろう。 しかし彼らが本当に捨てたかったのは、世間そのものではなく、世間に振り回される自分自身だったのかもしれない。
 一方で、出家から再び俗世間に戻る「還俗」については、俗世へ戻ることを人は時に弱さと見たり、何となくうさん臭く見る向きもあるが、それを簡単に敗北や逃走とかたづけられるであろうか? 決してそうではないであろう。 孤独の中で自分自身を、人間を見つめた者が、再び人々の中へ戻る時、理想としては、「競争の只中にいながら、競争だけを人生としない強さ」、「愛しながら、執着しすぎない静けさ」、「働きながら、魂を売らない覚悟」を持ち帰ることができたら素晴らしい。
 「坐禅」体験とは、この「出家⇒還俗」の体験と視座を短時間で獲得できる可能性を持つことに他ならない。 私たちは短く小さな出家を経験し、そして再び社会や誰かのもとへ帰る時、少しだけ穏やかで優しい人間になっているのである。 出家と還俗が私たちに与える示唆を三つにまとめてみる。
① 断捨離による再生: 一度全てを捨てることで、本当の自分に再会できる瞬間がある
② 日常の再定義: 静で聖なる場や瞬間を経験した者は、呼吸する、茶を飲む、歩く、といった些細な動作に自然や宇宙との繋がりを見出せる
③ 「間」に生きる強さ: 聖と俗、そのどちらか一方に固執せず、境界を行き来するしなやかさを知る
 出家とは「新しい目」を養うための旅であり、還俗とはその目で「古い景色」を愛し直すためのプロセスに他ならない。 私たちが生きるこの世界は、迷いに満ちている。 しかし、一度は世を捨てようとしたほどの渇望が、巡り巡って「今、ここ」を肯定する力に変わる。 その魂の往復運動こそが、人生に奥行きと、他者への深い共鳴をもたらす。 聖なる静寂を知る者は、俗世の騒がしさの中にさえ、一筋の光や落ち着きを見出すことができるのだから。
 最後に、このような「出家」⇒「還俗」を経験し、織田信長~豊臣秀吉の時代をしぶとく、力強く生き抜いた人物がいる。 奈良興福寺僧侶の覚慶から、兄弟の死により室町幕府の第15代(最後の)征夷大将軍を継ぐことになった足利義昭である。 今年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」では尾上右近さんが、好演したが、これまでにない人間味あふれる義昭として描かれている。 義昭は信長により京都から追放された後も諦めず、毛利家を頼り備後(広島県・鞆の浦)で再興を期し、最後は秀吉と和睦し、厚遇を受け、お伽衆として良き話し相手になったり、朝鮮出兵時の華やかな隊列にも加わるなど、覚慶らしく、義昭らしく最後まで自分の人生を柔軟に貫いた。 中世人には珍しい人物モデルであったと言えよう。
※写真は、倉田百三、親鸞、恵信尼、足利義昭(尾上右近さん)

(著者:藤田 英樹)