学長通信『則天去私』 President's Blog

No.47 Hotel Pacific 2026年7月

「灼けた Sun-Tannedの肌に 胸がJin-Jinと響く 夏の太陽が 嗚呼 燃え上がる To me 愛・・・硝子のように 敢え無き定めでしょうか? 砂の上で口づけした 真夏のPacific Hotel」(桑田佳祐 作詞・作曲 2000年7月19日リリース) 毎年、この時期になるとこの曲と共に幻影のように思い出す光景が茅ヶ崎の海岸、ルート134号脇にに聳え立っていた「パシフィックホテル」だ。 サザンの曲の中では、もうひとつ研ナオコも歌った「夏をあきらめて」の中にも登場する・・・「潮風が騒げば やがて雨の合図 悔しげな彼女とかけこむ Pacific Hotel」(桑田佳祐作詞・作曲 1982年7月21日リリース)

鎌倉に住んでいた私は少年期から社会人若手の頃にかけて、友人たちとパシフィックホテルの中にあったボウリング場でボウリングをしたり、屋外プールで泳いだ忘れえぬ思い出がある。 パシフィックホテルは、1965年竣工。 俳優の上原謙と息子の加山雄三らが共同オーナーで、空中に浮かぶような斬新なデザインの建物で、ドライブイン・ボウリング場・ビリヤード場・プール等の娯楽施設が併設された先進的な海辺の高級リゾートホテルとして地域の若者達の人気を博していた。 桑田さんもここでボーリングの面白さに目覚めたと述懐している。 残念ながら1988年に廃業・解体の憂き目となり、今ではこうしてサザンの名曲の歌詞の中だけに、まさに硝子細工のように残っている。

私は、今もう一度新たな人生が与えられるとしたら、建築家になりたいと思うくらい建築に興味が尽きない。 我がライフシフト大学では、個々人の半生を振り返り、「人生ヒストリー」「キャリアの半生記」を記述し、そのアップダウンと自らのその時々の思いを探訪することを行うのだが、誰しも、その人生の中で建築と関わった記憶や思い出があるはずだ。 住んだ家

や通った学校や会社の建物や、旅で訪れた寺社・仏閣・教会や、歴史的建造物・摩天楼など、その内装も含め懐かしい印象やエピソードと共に心に潜在しているに違いない。 それらの建築を再訪したり、再訪が無理ならば写真を見るだけでも、その時の心の動きやそこに共に居た家族や友人や恋人の表情や声までも思い出すかもしれない。 建築の価値をあらためて問えば、三つに整理できうるだろう、一つは本来の目的である「機能的価値」、二つ目は、外観・内部デザインの持つ「芸術的(意匠的)価値」、そして三つ目が今述べてきた「記憶的価値(共感的価値)」である。 三つ目の価値は今風に言えば、「ナラティブ的価値」と言える。 建築が文化財としての意義を確立し、保護され、新たな手を加えられつつ次世代に引きつがれていくためにも、この三つ目の価値についてしっかりと声を上げていく人々や団体の存在は非常に大きいのである。

最近の例で言えば、六本木にある全日本海員組合本部会館は、戦後の建築界を牽引した建築界の巨匠・大髙正人氏の設計により建設されたものが、老朽化や耐震構造問題による解体の危機を免れ、2024年末に見事に改修復活した。 これは2016年に「社会と建築を結ぶ大髙正人の仕事」展が開催され、建築業界や関係者の注目を大いに集め、継続利用する判断のきっかけとなったのである。

私の中で、有名建築物を除き、思い出の建物をパシフィックホテル以外に挙げるとすればあと二つある。 それは、山手のドルフィンと広尾の羽澤ガーデンである。 前者は言うまでもなく、ユーミンの「海を見ていた午後」に登場する横浜・根岸の森林公園近くの坂の途中に佇む静かな、いや静かだったレストラン。 今もまだあるし、時々無性に訪れたくなる場所。 ドルフィンでソーダ水を頼むとソーダ水の中に詰まった甘酸っぱい青春時代の思い出を一緒に飲み干すことになる。

羽澤ガーデンは東京・広尾の住宅街に、鉄道官僚で後に貴族院議員や東京市長を歴任した官僚・実業家・中村是公が南満州鉄道総裁を務めた後の1915年(大正4年)、自邸として建設したもの。 約1万平方米(約3,000坪)の敷地に、2階建ての和洋折衷の本館のほか、離れ、茶室などが配され、庭園も見事であった。 レストラン・宴会場・結婚式場として使われていたが、残念ながらオーナーの意向により2011年に解体されてしまった。 私も海外からのゲストを招いたり、特別な演出時に何回か羽澤ガーデンにはお世話になったが、無くなると聞いた時には本当に惜しいと思った。 あのような素晴らしい建築と調度品と庭とのセッテイングが、起伏に富んだ丘の上に繰り広げらる場所が広尾という都心にあり、しかも一般に開放されていたことが、奇跡か幻のように感じられる。 羽澤ガーデンの門をくぐる時のワクワク感は今でも忘れられない。

高輪の開東閣(三菱)、綱町の三井倶楽部(三井)、小石川の白山閣(日立製作所)、我が出身のパナソニックの真々庵(しんしんあん、京都・東山)など、財閥や大企業の迎賓館的に使われている歴史的建造物は東京のみならず全国に数多くまだ現存する。 建築物には寿命がある。 そのライフも目的と価値がシフトされつつ文化遺産や産業遺産として後世に伝わって欲しいと願う。

※写真は、パシフィックホテル、全日本海員組合本部、ドルフィン、羽澤ガーデン


(著者:藤田 英樹)