学長通信『則天去私』 President's Blog

No.33 赤光 2025年5月

「死に近き 母に添寝の しんしんと 遠田のかはづ 天に聞ゆる」 (斎藤茂吉 歌人、精神科医 1882~1953) 先年の5月に私も愛する人を亡くしました。 それまでは5月は薫風がわたり、彼方此方で新緑が目に飛び込む、私にとってまさに「生」の象徴たる月だったのですが、最期のひとつきに寄り添って以降、5月は少し灰色がかった、同時に最後まで灯る命と慈愛に触れたが故、仄かに紅色が差すように感じる月になったのです。斎藤茂吉は私の最も好きな歌人の一人で、彼の歌集「赤光」(1913年 大正2年発刊)は、青春時代から何度も何度も手に取りました。
「のど赤き 玄鳥(つばくらめ)ふたつ 屋梁(はり)にゐて 足乳根の母は 死にたまふなり」 赤光の中の「死にたまふ母」に収められ歌の中でも有名な一首ですが、あらためて見ると、赤と黒の対照、生と死の反転が見事に象徴されている歌だと気づきました。 高校生の時に「赤光」を通じて茂吉に出会った私ですが、大人になってから茂吉の人間としての陰影を更に知ることになります。 山形で生まれ、東大医学部を卒業し、大病院の院長も勤めて、傍目には順風満帆だったように見える茂吉ですが、次男で自らも医師と小説家になった北杜夫は「父の心の九割は歌に、文学に打ち込んでいたと思う」と評しています。 茂吉は晩年、恋の歌も詠んでいます。「光放つ 神に守られ もろともに あはれひとつの 息を息づく」 この歌の解説は省きますが、静謐の中に純愛がほとばしる素直な歌だと思います。 
茂吉の親友と言えば同じアララギ派を代表する歌人である島木赤彦でした。 島木赤彦も歌人とは別の「教師」と言う本職を持っており、故郷の長野県でかなりの熱血先生だったそうで、30代前半で塩尻の小学校の校長先生にもなっています。 そして赤彦も母のことを詠んでいます(柿蔭集)。 その中で、私が好きな歌が「老母は 尊くいまし 給ふけれ 黙に安らかに 君がまにまに」です。 老母に対し、「そこに座ってくれているだけで、静かに好きなようにふるまってくれているだけでいいから」と語りけているような赤彦の優しい眼差しを感じます。 人は、自らが生まれてきた源である母の老いに接することで、自分の一生に思い至り、これから老いていく自分の姿を見出し、「生」を切実に感じるのではないでしょうか? 我々は赤子として生まれ、最後は赤い火の中に包まれて昇天します。 その間を何かに誰かに赤い燈火(ともしび)を掲げて生きていくことができたら、それだけでも大いに意味のある人生だったと私は思うのです。 茂吉も赤彦もRice WorkにもLife Workにも魂を込めた人生を送ったと信じています。
※写真は「赤く染まる富士」


(著者:藤田 英樹)