学長通信『則天去私』 President's Blog
No.7 まれびと 2023年3月
“桜の花 ちりぢりにしも わかれ行く 遠きひとりと 君もなりなむ” 釈迢空(しゃく ちょうくう)
卒業、そして桜の季節になると私の頭をよぎる歌のひとつです。 この歌を聞いて皆さんはどのように感じますか? 私も以前は、
「舞い散る桜の花びらのように、皆別れ別れになっていく。 君も遠い存在になってしまうのだろう。」
と額面通りに感傷的にとらえていたのですが、いまこうして人生を歩んできてシニアになってみると、この歌は愛惜の歌というより、むしろこれからの人生への賛歌であり、また邂逅を期して、宝箱の中に或いはたゆたう流れの中に花びらを置き、行く末、未来を見つめる深い想いを感じるのです。
前に、卒業は「Commencement」であり、始まりの始まりと考えていると言いましたが、巣立ちと別れは、その文脈の後に可能性と再会という楽しみや夢を逞しく育んでいると思うのです。 とりわけ、人と人との関係基盤が、「with コロナ」のもと、リモートが当たり前になる中、「遠きひとり」という存在は、分断ではなく、むしろ、発展でもあると思い描けます。
「学びて時にこれを習う またよろこばしからずや朋あり 遠方より来たる また楽しからずや」
論語の「学而編」の中にある有名な一節ですが、今から2500年前に書かれた言葉は現在も色褪せることなく、ライフシフトの学びにもつながっているのです。
釈迢空は、本名 折口信夫(しのぶ)で知られる国文学者・民族学者であり、柳田國男の高弟でもあります。 彼の言説の中に「まれびと」という存在があります。 「まれびと」とは、我々の世界にまれに訪れてくる神または聖なる人であり、古代より日本では「まれびと」を一定の季節に訪れてくる神とし,この世に幸福をもたらすために出現するとも信じていました。 秋田のなまはげも、現在に伝わるその名残の風習です。 折口は、日本の季節の祭りの嚆矢を春の祭りとし、春訪れる「まれびと」との深い関わりがあると唱えています。
現代の「まれびと」とは、どのような存在でしょうか? 我々と繋がり・関わり・幸福をもたらしてくれる存在、そのような存在との出会い「Encounter」が、ライフシフトの醍醐味でもあります。 まさに、「Encounter with the unknown」(未知との遭遇)の冒険です。
(写真は、私が撮影した目黒川を彩る花筏です。)
(著者:藤田 英樹)